2009 年 11 月 のアーカイブ

就活くたばれデモまわりの議論において、言っておきたいこと

2009 年 11 月 26 日 木曜日

厚生労働大臣

就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で -北海道新聞

「就活くたばれデモ」なるものが取り沙汰されて、ネット上でああだこうだはじまっているのがおもしろくて便乗です。
厚生労働大臣の幕の内です。
やー、今回も就活の話題ですね。ま、私どもは政官業の最強サイクルによってゆるぎない政権運営を行っておりますので、就職活動なんてものには無縁なんですがね。

率直に私の見解を述べますと、本当に素晴らしい。感服。
いや、デモというのは本来政府の敵のはずなんですがね、実に愉快ですよ。今回大臣の椅子から高見見物に決め込ませていただきましたよ。
う~ん、やっぱりね、三島由紀夫が金閣でほのめかした「認識と行為」の概念が今になって私にはよく分かるのです。

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むしろ「就活くたばれ」と言ってこなかったからこそ今の惨状があるんじゃないの -日常ごっこ

くたばれ就活?では就活を屏風から出してください

「人のせい」はクセになる
自分にとって都合の悪い状況があるときに、
それを作り出している絶対的悪者がいると考えるのは短絡的。
バイキンマンを退治すれば世の中は平和になるという発想だ。

私はいろいろとこの周辺の議論について考えました。
特に私にとって難解な問題なのが、この方も言われているようなこと、つまり、「人のせいにしてはいけないのか」という問題です。
基本的には人のせいにすべきではありません。この方も述べておられるように、不幸を呪うよりかは感謝できる精神にあった方がよいのだと私ども思い出主義者も考えています。
ですが、私はそんなところに自分の限界を感じるのです。
今の自分が社会と適合できないのであれば、自分が変わろうとする努力をすればいい。それが一番波風立たないし、自分のためにもなるし、最も論理的な思考です。しかし、過去フランス市民が自らの不遇を絶対王政のせいにしなければフランス革命は起こらなかったのです。我々の想像力の及ばぬところに世界が開けている可能性はこの期に及んでもあると私は思います。
ものすごいスケールのでかい話になって「は?」となった人もいるかと思われますが、デモや運動などはさすがに譲れんだろうというポイントがあってやるのですから、仕方ないことなのです。そもそもデモとか運動とかゆうのは自分じゃなく、社会がかわってほしくてやるのですからね。
ですから、まとめると、「人のせいにするかしないか」を普遍的な価値として位置付けるのではなくて、「人のせいにした結果、またはしなかった結果、自分がどう変わったか」を見るべきだというのが思い出主義的見解です。
つまり、何もかもを人のせいにして、言い訳ばかりして過ごした結果、何も残らなかったというのはよろしくない。逆に、全てにおいて自分が変わろうと努めた結果、自分にとって大切な何かを失ってしまった気がする・・・というのもよろしくないのです。
比較すると、社会的には前者の方がよろしくないんですけどね。
この北大生たちの行動は勇気あるもので、まちがいなく彼らの思い出に残るでしょう。そして、こういうことをすればまわりからいろんな意見をもらったり、あるいはボコボコに叩かれたりもするでしょう。けれど、それも含めて素晴らしい思い出になりますよ。

ただしひとつ言っておきたいことは、「人のせいにして生きる」というのは本気でやり遂げようとするならばものすごくエネルギーがいることです。これを高精度で達成できる人は天才なのだろうと私には思えます。
さらに、私にはどうしても、人のせいにすべきでないよという主張で運動を批判する方々は社会の反分子を取り除こうとか、余計なこと考えずに社会の馬になれと言ってるように聞こえるのです。でも、人生・幸福というマクロな目で見ると、とりあえず社会をまわしていくことがそんなに重要なんだろうかと思えるのです。

ほんで、私が最後に一番強く言いたいのは、こうなってはいけない・・・!ということです。

「就活くたばれ」が気持ち悪い理由 -Life Like Light

理由1.甘えに見える
「ストレス発散のためにやっているんだ」というスタンスをとっている限り、実際にストレスに耐えて就活を経験して、職を得ている者からすれば、甘えに見える。…

理由3.デモって非効率じゃない?
別に、採用活動の対案を出せ、というわけじゃなくて(それでもいいけど)、ストレスを自分にどう生かすか、という工夫をしたほうが効率的だ、ということ。…

違うのです。私からすれば、ストレス発散のためにやってて何がだめなんだ?と思います。
むしろ、ストレスみたいなたまりにたまったエネルギーから生まれるものに私は期待しているのです。パンクロックなんてのがいい例じゃないですか。
たしかに、ギターとドラムつかって叫べば、大人たちは聞いてくれないかもしれない。でも、想像してみてくださいよ。若者さえもが冷静沈着に、理性的に、きっちりと主張をする光景を。そこに文化や芸術、そういうムーヴメントは起こらないでしょう。

デモって非効率じゃない?、という発想は頼むからやめてほしいのです。人生に効率をもとめるんなら、生きてなくてもいい、死んだ方が一番効率的なのです。思い出主義者にとってはプロセスこそが「生」。このプロセスを排除する「効率」というものは(仕事場ではもちろん大事でしょうが)、生きる上では障害になると言いたいのです。
(詳しくは、「人は死ぬから、心が豊か」を参照。)

私は、合理性にあまりに固執する人々を論理的思考症候群とよんでいます。
彼らに足りないのは、ずばり想像力です。論理的思考に想像力が欠けていると、そのこたえはものすごく単純なものしか出てこないのです。そんなこたえに私は興味がないのです。
想像のない論理が導く世の中は、おもしろくない、と私は言いきれるのです。

追記:
このデモの主催者O瀧さんのブログです。
「就活くたばれ」デモが無事終了。 -O瀧さんの暴動ステーション

新卒採用担当に告ぐ、SPI性格適性テストは廃止せよ!

2009 年 11 月 4 日 水曜日

厚生労働大臣

おひさしぶりです。厚生労働大臣の幕の内でございます。
就職活動シーズンに突入している感がありますが、本日のテーマはあの憎きSPI、性格診断テストについてでございます。

結論を言います。WEBテストでその人の性格や適性を見て、選考の一つにするなんて考えは捨てるべきです!捨ててください!人事の方!お願いします!!
なぜかって、WEB適性テストは、そのやり方が主流になった今、目的が非常にあいまいになってしまっているからです。

SPIテストは、言語と非言語の基礎的な学力をはかるという目的のほか、性格を診断して向き不向きを数値化するという目的をもっています。これは導入直後は、あながち悪い方法とも言い切れなかったかもしれません。コスト削減にもなるし、応募者をうまい具合にふるいにかけることができたのでしょう。
しかし!現状は違います!たぶんとしか言えませんが、違います。

なぜなら、人間は学習するからです。
つまり、WEB適性テストで企業はこういう社風と関連付けて、こういう能力・性格を持った人材をとろうとする、ゆえに自分はこの問いに関してこうこたえるべき、というふうに素直にテストに取り組まず、打算的回答になるということです。
いや、学生が積極的に学習したわけではない。世にあるSPI本のほとんどが驚くべきことにこういったずるがしこいノウハウをすりこんでいるのです。
大人たちが大々的に適性テストの解き方なるものを公言して、出版している・・・。
この時点で明らかにWEB適性テストの本来の目的が失われています。

もう一度確認すると、適性テストの目的はその人の性格が社風と合致しているかをはかるものであったはずです。
しかし、就活生の多くが読むであろうSPI本にその攻略法を書かれては目的がすこぶる変わってしまうことがおわかりでしょうか。
志望する企業の社風を分析、それに合う人物像を頭の中につくり出し、その人物になりきって性格診断を受ける。
いかに高水準でこれを実行できるかをはかるテストとなってしまっているのです!

私はたしかに、就職活動において就活生は思いっきり悩むべきですし、苦労するべきですし、万全の準備をすべきだと思います。
だから、「企業に合う人物像で挑むテスト」と割り切ってやればいいと言う方もいるかもしれません。
だけど、そもそも目的があいまいなんですよ。「企業に合う人物像で挑んだ人」が受かる試験になれば、「素直に受けた人」は不利になります。
そうなると、就活生はやはり性格診断テスト対策をやらざるをえない。
もはや性格診断の体をなしていないアホらしいテストの対策をやらなきゃいかんことになる。
これは一種の価格競争ですよ。誰かがはじめたら追従せざるをえないという・・・。これは貴重な時間を単に奪っているだけですよ。

足切りをやるのならば、しかるべき目的で、しかるべき基準を設けてやるべきだ。
企業研究ができているか見たいならば、しかるべき質問で、しかるべき基準を設けて見るべきだ。

やっぱり私はコンピュータが人を判断するという仕組みが憎くてたまらない。
WEBテストを受けてみれば分かりますが、5段階評価では伝えきれない細かいニュアンスがいっぱいある。普通に生きてたら、そんな葛藤ばっかりです。
私が就活生だったら、そういうプロセスを「はい」か「いいえ」で答えさせらるなんて歯がゆくてしょうがない。7秒とかで答えさせられるのが歯がゆくて・・・。
そしてその対策として、優等生回答をたたき出すための勉強をせねばならないなんてことがくやしくてしょうがないですね。