2009 年 9 月 のアーカイブ

ナショナリストの国アメリカ 1

2009 年 9 月 16 日 水曜日

防衛大臣

Many New American Citizens Are Foreign-Born Members of US Military -VOA News

「たくさんの新アメリカ国民が、異国で生まれたアメリカ軍のメンバーです!」
直訳するとこうなります。
先日は9月11日でした。
9.11に関する上記の記事がVOA Newsにのっていましたので、掲載しています、防衛大臣のふみちゃんです。

う~んとですね、私は母国語が日本語ですから、正確なニュアンスをつかみきれてないだけなのかもしれませんけど、この記事にはひやっとしたものがありました。ひやっと、ひやっと。ひやりはっとでした。
というのもですね、この記事の一番初めに以下のように書かれているんです。

8年前のテロがあってから、52000人もの外国で生まれたアメリカ軍兵がアメリカに帰化した。ペンタゴンによると、そのうち100人が戦死した。

どうやら、メキシコ人とか異国の人がアメリカ軍に加わって、共に闘っていたらしいのです。
少しびっくりしませんでした?私はこういう記事、嫌いではないです。むしろ好き、の部類に入る。ふみちゃんてば、ばりばりのハト派で好戦的ではないんだけどもね。
なんだけども、ニュアンスとしてさ、やっぱ戦争美化っていうか、アメリカ人じゃないのにアメリカのために戦ってかっこいいみたいなのがあるじゃんさ。自虐史観でがんじがらめになってる我々日本人から見るとびくっとするよね。「特攻隊かっこいい。」なんてでかい声で言おうもんならサヨッキーに噛みつかれるし。
それをアメリカ様ときたら、ぺろりとやってのけてしまうのだから恐れ入るよね。

実はふみちゃん、ひやっとしたと同時にパニックにも陥ってしまってですね、アメリカって何だ?軍国主義・・・なのか・・・?
軍国主義≒全体主義≒ファシズム・・・?
なんて疑問がニューロンから発火して、脳火事起こしたんです。
だからこれを鎮火するために、少し考えてみました。

結論から言うと、軍国主義ですよ。
めちゃくちゃ経済潤わせて、軍備増強しまくって、武力で他国に介入しまくって、思い通り、みたいな。これを軍国主義と言わずして、何と言う。突出した科学技術・経済力も、結局軍備のためみたいな気がしてきますやんか。
だけど!!かつての日本のような一般的な軍国主義とは、決定的に違うところがありますね。それは、「自由民主主義」が根本理念としてあるというとこです。言わば、「自由民主軍国主義」とでも言いましょうか。

結局アメリカは自由民主主義に依ってのみ成立している国であるのでしょう。
冒頭で紹介しましたが、何人もの外国人がアメリカに帰化して、アメリカのために戦って死んだと。信じられん!と思う人が大多数だと思います。
私たちって、やっぱワールドカップでは日本を応援しちゃうし、知らずのうちに生まれ育った土地を愛してしまっているものじゃないですか。それをほっぽって、わざわざ帰化して死ぬ・・・。どういうことなんだ・・・?
この心境、境地。私には分からなくもないです。要するに彼らは「自由民主主義」に憧れたんです。守るべきは故郷ではなく、自由民主主義なんだ・・・!とね。だから、それを貫徹するアメリカに命を捧げられた。そういうことなんだと思います。

こう思うと、どこかイスラエルのにおいがしてくるんです。
イスラエルもまた奇怪な国で、ユダヤの故郷として建てられた国ですが、ユダヤ人というのは血縁的な問題では決まりません。ユダヤ人はユダヤ教という宗教の信者のことを指すようです。つまり(ユダヤ人の住む)イスラエルは、ユダヤの教えの下に集まった者たちが暮らす国なのです。

日本人は日本で生まれたまたは育ったまたは暮らしているから、日本人なわけで、それ以上でも以下でもありません。
その他多くの国も同様にそうであるでしょう。主義主張がどうであろうと、日本人となるんです。
けれども、ユダヤ人はそうではない。ここが重要。
日本で生まれた人でも改宗すればユダヤ人になれるのです。ただ、その改宗は半端なものではないそうですが。
そこで今日のテーマで言いたいのは、アメリカ人もユダヤ人のようになってきているってことです。つまり、アメリカの場合は自由民主主義の下に集まった者たちの都ってわけです。
インターネットで世界もつながったし、もしかすると、新世紀の潮流かもしれませんですね、これが。似た者同士で集まる国。

私が思うに、こういう風に○○主義のもとに集まる国ってのが、軍備増強に走るんです。
だって、その主張を推し進めることに反対する人は極少数だし、敵対国と戦う必要が出てくるし、負けるわけにはいかないし。
ってわけで、強烈な自由民主主義は、敵対者が存在する限り軍国主義を捨てられないんでしょうね。

こういったアメリカの性格を激しく糾弾したのが、ノーム・チョムスキーでした。
ちょっと長いね!続きはまた今度。

浮世絵師の肖像画家としての腕前

2009 年 9 月 10 日 木曜日

文部科学大臣

文部科学大臣の本田スパニエルです。
昨衆議院選では無事に当選を果たしまして、再びこの座に居座ることができました。愚民の皆さんにはまことに感謝いたします。

文部科学省としましては、日本特有の文化をもっと世界に広めてゆき、外貨を稼がにゃならんのですが、やっぱりビジネスになる一押しの日本文化といったら漫画ですね。すっかり漫画ですね。
もともと漫画というのは、万画。すなわち「よろづのものを画いたもの」という意味で絵手本のことだったそうです。それが今や日本の漫画は世界的にバカウケで、他の追随を許さないレベルにあります。

でも日本画の歴史を辿ってみるとそりゃうなずけるんですよ。
西洋でですよ、印象派降臨!ルノワールだ、セザンヌだ、我こそは本物の芸術家なり!なんてやってるときに、はるか東のジャポンでは、すごい絵を描いてたんですよ。浮世絵ってやつですね。

ヨーロッパの人たちはまじめですよね。彼らは、はじめは荘厳な、超遠近法的な絵を描いてました。ああゆう絵はすごい圧倒感があってすごいのはすごいです。スケールもでかいし。そのあとの印象派で西洋絵画はがらっと印象変わるんですが、なんかですね、まじめくささはそのまんまなんですよね。ルソーやダリやピカソの登場を待つまで、なんかやっぱまじめーな絵のように思うんです。
ルソーとかが現れて、吹き出しそうなおもしろい絵が出てくるんですけど、その絵からもふざけてというか肩の力をぬいて描いてるような空気が全くないんです。やっぱこのおっさんたち芸術やってるよ、みたいなにおいがすんですよねー。

そういうのにどっぷりつかってから浮世絵を見ると、「よくやったぜ!日本人!!」なんて思うんです。
西欧とは違って日本の画界を牛耳っていた者たちは、総じて「粋」なやつらだった。なんていうか、芸術を生み出してるなんて崇高な感覚が全然見られないんです。子供が絵を描くかのようにニタニタ笑いながら、筆をぺちゃぺちゃやってる、そんなかんじがすんですよ。
だって、江戸時代田舎では浮世絵と言うと春画(性行為の様子を描いた絵)のことを指していたらしいですからね。
こういった脱力感が、現在の日本にも受け継がれる漫画エネルギーの源泉のような気がします。

浮世絵界のレジェンド東洲斎写楽はあまりにも有名ですが、クルトというドイツの研究家は彼を世界三大肖像画家と絶賛したそうです。
これがなんとも滑稽で、ちなみに彼が挙げた3人は、レンブラント・ベラスケス・写楽なんですが、この3人の作品を並べてみるとおもしろい。
「なんで?」と言いたくなります。

レンブラント作ベラスケス作写楽作

写楽の絵が肖像画として評価されるとなると、にわかに巻き起こってくるのが、「当時の日本人はどんな顔をしていたんだ?」という疑問です。まあ、実際のところ今の日本人と大して変わらないんでしょうが、それでも昔の日本画に描かれている顔はあまりにもデフォルメチックなので、少し気になるところはありますよね。
喜多川歌麿が大成した美人画の元型にしても、キツネみたいな顔をしています。これがつい200年前くらいまで美人の典型だったなんて不思議なかんじです。

喜多川歌麿作

そう思うとますます当時の日本人の顔に興味がわいてきます。
浮世絵師は一体どの程度、本気で肖像を描く気でいたのか・・・。彼らに写実的な絵を描く気はなかったのか・・・。もしかしてわりと写実的に描いててこれなのか・・・。

そうこうしていたら発見いたしました、とある浮世絵。
写真があるので、実物とどれくらい似ていたか見比べることができます。

ペリー 浮世絵ペリー 写真

なぁんだ、結局ギャグか。浮世絵ってやつは。

ベトナム料理から学ぶ日本の反省

2009 年 9 月 6 日 日曜日

食物担当大臣

はじめまして。このたび内閣府食物庁の新設につきまして、食物担当大臣を仰せつかりました唐獅子マスヨでございます。

「あそこの店はおいしいよ、あそこはまずいよ。」
このようにですね、食べ物を一元的に、しかも極めて安直な主観で捉えるにすぎない者たちがどういうわけかグルメと呼ばれる昨今でございます。少しでも多くの店で食事をして、それらに「うまい」か「まずい」かのフラグを立てていくのがグルメの仕事ですか?彼らは何を勘違いしているのですか?
この食物庁は、このような大問題を起点に設立にこぎつけました。本物の美食家とは何たるか、私どもがお教えいたしましょう。

ワタクシ、かのような使命を負った食物担当大臣でございますけれど、このあいだはじめてベトナム料理をいただきました。世界的に人気のあるベトナム料理のことですので、何を今さらってことになるんでしょうけれど、閣内一の美食家がベトナム料理をどう食したか述べさせていただきます。

ワタクシがいただきましたのは、フォーとチキンカレーでございます。
まずはカレーについて申し上げておきたい・・・!ワタクシいわゆるジャパニーズカレーとよばれる市販のルーからつくるカレーしか食べたことがありませんでした。ココナッツカレーというジャンルのカレーを食べたのはもちろんはじめてでございました。
私たちは、うしろから突然「わっ」とおどかされるとびっくりします。そのほか、心霊スポットで目の前に青白い人の顔が浮かびあがったらこれまたびっくりします。見知らぬ人から急に肩をがしっとつかまれてもびっくりしますでしょう。
つまり私たちは、五感のうち視覚・聴覚・触覚においてはそれらの入力からびっくりすることがあるのです。しかし、嗅覚と味覚においてはびっくりするという感覚はあまりありません。大抵これらのものはじわじわと刺激になって現れてくるものです。
それなのに、ココナッツのカレーは口に運ぶたびに何かに小突かれたかのような衝撃を食らい、それが食べ終わるまで続くのです。要するに文字通りびっくりするほど美味なんでございます。
ココナッツカレーはコクがあって深みがあって、まろやかさに酔いしれてしまいます。けれどもこれが醸し出す味の深みというのは「囲碁」の与える思考の深みとは幾分異なります。つまりココナッツカレーは、舌でとろけるまろやかさにビッグバン理論でいうところの原始宇宙スープのような複雑怪奇な構造に思いを馳せるのですが、しかしその味は私たちにも捕獲可能なごく簡単な法則性のあるものだということです。私たちはこのような複雑性MAXのスープの中からひょこっと顔を出す単純な法則に心底のめりこんでいくのです。
このカレーのまろやかさに間違いなく一役かっているのがチキンであります。チキンカレーというのがポイントなんですね。この水準のコクはビーフやポークでは到底出るはずもない。ココナッツとスパイスとチキンの境界線が見事に取り払われているのです。まさに融合。ボーダレスグルメ革命とはこのことです。
日本人は無意識に牛→豚→鶏という順番で根拠のない優劣をつけています。しかし、その肉を得るためにどれだけのコストがかかったかということがその肉自体の評価になるわけがないでしょう。優劣がつくとしたらそれは、肉を構成するたんぱく質の超絶バランス感覚と脂肪のキメ細やかさであり、さらに言えばそれらが調理するにあたって他の食材とどう絡みあっていくかという所にしかないはずです。
ですから、日本人はビーフカレー、ポークカレーならまだしもカツカレーやエビフライカレーのような代物に食いつく習性を少し反省しなければならないでしょう。時代はグルメボーダレスなんですよ。
けれども日本人は本来そういったバランス感覚を備えた民族でした。この国から続々と生まれた料理には、筆舌に尽くしがたい趣があります。それについてはまたのちのち言うとして、数千年に渡って日本人に受け継がれた遺伝子がささやく食に対する感覚に耳をかたむけるべきでしょう。それを素直に受け止めて「カレーにはチキン」という選択をすべきなのです。

長くなりましたが、最後に少しフォーについても言っておきたいことがあります。
フォーは基本的に日本人にも好まれる食べ物だと思います。けれど、賛否が分かれそうなのは香草に対する評価です。
フォーを食べているとしばしば気がつくのが、香り高く癖のある香草の存在です。彼らが妙に主張してくるのです。これが嫌だと言う人が日本には多いのではないかと私は率直に思いました。日本人は元々人見知りする民族ですしね。
本当のところ私もこの香草がおいしいと思えなかった。これがなかったらいいんじゃないかという考えが脳裏をよぎりました。しかし、うまくなければ嫌いかというとそうでもない、ということを声高に申し上げておきます。どういうことかと言うと、私はフォーを食するたびにこの香草にぶちあたります。そして「おいしくない」とたしかに思います。けれどもそれと同時に私は、ベトナムの野原の姿をありありとイメージするのです。香草というのは、その国の匂いを代表する存在です。私が子供のころはそこらじゅうに花や草木が生い茂って、蓮華草の鮮やかな色彩や野原の匂いを体感していました。その経験を基にして、香草を通じてベトナムを想像できる。
この香りが鼻につく香草こそが日本にいながらにして、ベトナムへの小旅行を体感できるパイプ役を担っているのです。

美食家というのは、一口食べればビッグバンに思いを馳せ、ベトナムに小旅行に行ける、そういう者たちのことを言うのです。うまいかまずいかはそんなに関係がありません。むしろあなたたちはその食べ物に不満しかいだけなかったご自分の狭い心を反省すべきなのです。

参考:PHONAM

食物庁の設立に際しての記者会見

2009 年 9 月 6 日 日曜日

カンボウ長官

どうも。官房長官のカンボウ長官です。
本衆院選の最大争点となりました「政権選択」。
みなみなさまがた。私どもおともだち内閣を引き続きご選択いただきまして、まことに感謝の意を申し上げます。ナイスチョイス!身の引き締まる思いで、私ども新たな時代の幕開けを感じております。

私ども閣僚もみんなそろって生還したということで内閣改造一切なしにこのまま続行いたします。
それに際しまして、おともだち内閣紹介で閣僚一覧のページを一言コメントと共に作成しておりますのでぜひご覧ください。

さて、今回も相変わらずおともだち政権を選択されたということで、より一層おともだちスピリッツのこゆい政策に励んでいきたいと考えているところです。私どもが水面下でひそかにマニフェストに掲げていたものは、「食物庁と食物担当大臣の設立」についてでございます。
私どもは、食べ物をもっと多角的に多次元的に捉える必要があると感じています。むしろ、今現在食べ物が一元的な解釈しかなされない現状に大半の有権者が不満をもっての本衆院選での結果であると私どもは考えているのです。ですから、本庁設立は急務であろうかと。
私どもの意向にそぐわない、国益に反する「食」を厳しく取り締まり、そこから生まれる行政の裁量権でハコモノを増設し、天下り天国を実現しようというのが狙いです。

今後ともひとつ、おともだち内閣をよろしくお願い申し上げます。