
またしても文部科学大臣の本田スパニエルでございます。
ここ5回中4回が私の投稿ですね。これは今月のMVPはわたしで決定ですかな?
さて、マイケル・ジャクソンが死亡する季節になりましたね。今年もそんな季節になりました。
彼は伝説の男です。彼の生涯については、いろいろ意見がありましょうが、こんなにも不気味で謎めいた人間は珍しい。私はマイケルという男のこれまでの全人生をひとつのストーリーとしておもしろいと思いますし、支持します。
で、まあ本日のトピックなんですが、それとは関係なく、わたくし久しぶりに漫画を読みましたのでそれについての話でございます。
漫画のタイトルは「鈴木先生」。
この漫画中学校を舞台に教育に関して悩みに悩む教師の視点で書かれています。学校の現場が舞台なので文部科学大臣として黙ってはおれませんので、感想を申し上げたいと思います。
まずは大ざっぱな感想から。
これはおもしろい・・・!こんな漫画をみなさんもっと書いたらいいですねえ。生徒のために必死こいて最適な教育方法を考え抜く、鈴木先生、魅力ありますねえ。けど、彼はそのうち過労死で死ぬでしょうね。
この作者・武富健治さんですか、彼は目の付けどころというか、視点がすばらしいですね。
ただし、この漫画に登場するキャラクターの外観は例外なく魅力ゼロです。この漫画で登場人物人気投票とかしたらすごいカオスなことになることでしょうね。
それでは、細かいところを。細かいのでネタばれ注意です。
第一巻は大きく分けて三本立てになっていたので、そのひとつひとつに対しておともだち内閣としての意見を申し上げます。
まずは、一つめのテーマ、「テーブルマナー」についてです。
主要人物の一人、出水正ですが、私は彼は嫌いですね。食事中に左手を皿に添えるか添えないかなんてのは、気になるんだったら見なけりゃいいんですよ。どうしても自分でそれをシャットアウトできないのならば、相手に不快だという旨を伝えるか、順応するしかない。それを短絡的に考えてあのような行動に移すのはただのアホです。
学校というのは、いろんな個性が集まった集団の中でいかにコミュニケーションをとり、社会の中で生きていくかということを学ぶ場です。それが第一です。算数、国語とかはその次です。ですから、多少マナーの悪い人がいてもそれはあきらめなければいけない。郷に入っては郷に従うんです。
ここだけは譲れない!ということがあるのなら、直接訴えなければいけません。嫌われるというリスクをおかして行動に移さなければならないのです。それをあんな形で訴えても伝わりませんよ。「心が狭いと思われたくない」という理由からあんな行動を起こして、結局嫌われてるんだったらアホでしょう。鈴木先生もそんな暇じゃないんですから、いい加減にしてくださいよね、ほんと。
それでは、二つ目のテーマ「酢豚」に参りましょう。
はっきり言って私は、これに関して学校が下した決断に批判ゴウゴウです。気に食わないですねえ。
まず、給食の酢豚廃止に対して、クラスをここまで盛り上げてアンケートに持ち込み、職員会議にまでかけたことは鈴木先生の見事な手腕だと言っておきましょう。ここは賞賛に値します。
ただし、職員会議の結果についてはきちがいの沙汰としか思えない。酢豚をどうしても食べられない子は1クラス平均4人、この数が多いから廃止ですか?馬鹿かよ。給食全部ハンバーグにする気かよ・・・。そこで消費者のニーズがどうのこうのとか考えてどうすんだよ。給食は教育の場だろうが。
会議の内容で理解できない点は二つ。
「メインメニューである酢豚を全く食べれずに、空腹のまま5、6限目を過ごす生徒がいる」ということがそんなに問題か?嫌いだから食べないとか言って給食残すやつは腹すかせときゃいいんだよ!人間、もう食わんと死ぬわってなったら好き嫌いとか関係なく食うんだよ、はげが。まれにアレルギーがどうだとかいう人は事前に献立を調べておいて、弁当持ってくるなり、朝飯おおめに食ってきたりすりゃいいだろうが。
そしてもう一つですが、「残飯が大量に出る」ということがそんなに問題か?たしかにいいことではありませんね。ですが、残飯を減らすために生徒のニーズを調べて多数派が好むメニューばかり並べることの方が大問題です。ごみの大量廃棄問題に関連付けて、みんなできるだけ給食食べようねという「教育」をするのが学校の役目です。ですから、酢豚廃止反対の議題で職員会議にかけるまではよかったんですよ。ですが、最後の決定は最悪ですね。
給食配給側もある程度の努力は必要です、しかしコストの問題として限界があるのも事実なんです。
では最後に三つめのテーマ「性教育」についてです。
このテーマなんかも視点がおもしろいですね。中学生の性行為を大人は容認するのかしないのか。たしかに疑問に感じる方もいるのではないでしょうか。
これの解決案として、鈴木先生はおもしろい考え方を提示されました。それは、「性行為の是非は精神年齢に依存する。岬勇気と遠野涼介の妹は秘密を隠し通せなかった、つまりばれたから、精神年齢が十分だと言えない。」という結論です。これは非常におもしろい考え方ですね。
ですが、やっぱりこれは危険だと思います。なぜなら、精神年齢がどうこうという指標ではどうしても事が起こった後でしか対応できないからです。しかし、事が起こった後では遅すぎる場合がある、特に中高生なら。女子高生が生まれたばかりの赤ん坊を殺してしまうという事件がしばしば起きてますよね。この問題の恐ろしさはここにあるのです。絶対的な避妊の方法はない、性行為には常に子供ができるというリスクがつきまとう。
わたくしの考えでは、性教育は必ず行うべきです。しかし、それは性行為を容認するという意味ではなく、大人になったときのために知っておく、という名目です。では、何歳になったらしていいのか?それは年齢で線引きされるものではなく、正しい避妊方法を理解し、避妊のためにお金をかけることができ、さらに万が一のときに中絶のための手術代を支払うことができるようになって初めていいだろう、ということになるのだと思います。つまり、アルバイトをしてそこそこのお金を稼げるようになってからというのが私の見解です。
や~、おともだち内閣の教育論、結構書きました。
「鈴木先生」是非読んでみては?
