
「就活くたばれデモ」なるものが取り沙汰されて、ネット上でああだこうだはじまっているのがおもしろくて便乗です。
厚生労働大臣の幕の内です。
やー、今回も就活の話題ですね。ま、私どもは政官業の最強サイクルによってゆるぎない政権運営を行っておりますので、就職活動なんてものには無縁なんですがね。
率直に私の見解を述べますと、本当に素晴らしい。感服。
いや、デモというのは本来政府の敵のはずなんですがね、実に愉快ですよ。今回大臣の椅子から高見見物に決め込ませていただきましたよ。
う~ん、やっぱりね、三島由紀夫が金閣でほのめかした「認識と行為」の概念が今になって私にはよく分かるのです。
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むしろ「就活くたばれ」と言ってこなかったからこそ今の惨状があるんじゃないの -日常ごっこ
「人のせい」はクセになる
自分にとって都合の悪い状況があるときに、
それを作り出している絶対的悪者がいると考えるのは短絡的。
バイキンマンを退治すれば世の中は平和になるという発想だ。
私はいろいろとこの周辺の議論について考えました。
特に私にとって難解な問題なのが、この方も言われているようなこと、つまり、「人のせいにしてはいけないのか」という問題です。
基本的には人のせいにすべきではありません。この方も述べておられるように、不幸を呪うよりかは感謝できる精神にあった方がよいのだと私ども思い出主義者も考えています。
ですが、私はそんなところに自分の限界を感じるのです。
今の自分が社会と適合できないのであれば、自分が変わろうとする努力をすればいい。それが一番波風立たないし、自分のためにもなるし、最も論理的な思考です。しかし、過去フランス市民が自らの不遇を絶対王政のせいにしなければフランス革命は起こらなかったのです。我々の想像力の及ばぬところに世界が開けている可能性はこの期に及んでもあると私は思います。
ものすごいスケールのでかい話になって「は?」となった人もいるかと思われますが、デモや運動などはさすがに譲れんだろうというポイントがあってやるのですから、仕方ないことなのです。そもそもデモとか運動とかゆうのは自分じゃなく、社会がかわってほしくてやるのですからね。
ですから、まとめると、「人のせいにするかしないか」を普遍的な価値として位置付けるのではなくて、「人のせいにした結果、またはしなかった結果、自分がどう変わったか」を見るべきだというのが思い出主義的見解です。
つまり、何もかもを人のせいにして、言い訳ばかりして過ごした結果、何も残らなかったというのはよろしくない。逆に、全てにおいて自分が変わろうと努めた結果、自分にとって大切な何かを失ってしまった気がする・・・というのもよろしくないのです。
比較すると、社会的には前者の方がよろしくないんですけどね。
この北大生たちの行動は勇気あるもので、まちがいなく彼らの思い出に残るでしょう。そして、こういうことをすればまわりからいろんな意見をもらったり、あるいはボコボコに叩かれたりもするでしょう。けれど、それも含めて素晴らしい思い出になりますよ。
ただしひとつ言っておきたいことは、「人のせいにして生きる」というのは本気でやり遂げようとするならばものすごくエネルギーがいることです。これを高精度で達成できる人は天才なのだろうと私には思えます。
さらに、私にはどうしても、人のせいにすべきでないよという主張で運動を批判する方々は社会の反分子を取り除こうとか、余計なこと考えずに社会の馬になれと言ってるように聞こえるのです。でも、人生・幸福というマクロな目で見ると、とりあえず社会をまわしていくことがそんなに重要なんだろうかと思えるのです。
ほんで、私が最後に一番強く言いたいのは、こうなってはいけない・・・!ということです。
「就活くたばれ」が気持ち悪い理由 -Life Like Light
理由1.甘えに見える
「ストレス発散のためにやっているんだ」というスタンスをとっている限り、実際にストレスに耐えて就活を経験して、職を得ている者からすれば、甘えに見える。…理由3.デモって非効率じゃない?
別に、採用活動の対案を出せ、というわけじゃなくて(それでもいいけど)、ストレスを自分にどう生かすか、という工夫をしたほうが効率的だ、ということ。…
違うのです。私からすれば、ストレス発散のためにやってて何がだめなんだ?と思います。
むしろ、ストレスみたいなたまりにたまったエネルギーから生まれるものに私は期待しているのです。パンクロックなんてのがいい例じゃないですか。
たしかに、ギターとドラムつかって叫べば、大人たちは聞いてくれないかもしれない。でも、想像してみてくださいよ。若者さえもが冷静沈着に、理性的に、きっちりと主張をする光景を。そこに文化や芸術、そういうムーヴメントは起こらないでしょう。
デモって非効率じゃない?、という発想は頼むからやめてほしいのです。人生に効率をもとめるんなら、生きてなくてもいい、死んだ方が一番効率的なのです。思い出主義者にとってはプロセスこそが「生」。このプロセスを排除する「効率」というものは(仕事場ではもちろん大事でしょうが)、生きる上では障害になると言いたいのです。
(詳しくは、「人は死ぬから、心が豊か」を参照。)
私は、合理性にあまりに固執する人々を論理的思考症候群とよんでいます。
彼らに足りないのは、ずばり想像力です。論理的思考に想像力が欠けていると、そのこたえはものすごく単純なものしか出てこないのです。そんなこたえに私は興味がないのです。
想像のない論理が導く世の中は、おもしろくない、と私は言いきれるのです。
追記:
このデモの主催者O瀧さんのブログです。
「就活くたばれ」デモが無事終了。 -O瀧さんの暴動ステーション




