
「おいけのまわりにお花がさいたよ」
おともだち内閣総務大臣の歌川つめたろうでございます。おともだち内閣が無償で提供しております、私どもの根本的思想をみなさまに提供する怪しいセミナー「人は死ぬから、心が豊か」を分割開催しております。本日はいよいよ最終日となりました。
今までの講義内容は、以下にございます。
人は死ぬから、心が豊か 其の一
人は死ぬから、心が豊か 其の二
人は死ぬから、心が豊か 其の三
人は死ぬから、心が豊か 其の四
人は死ぬから、心が豊か 其の五
普遍的宇宙や真実など絶対的なものを揺るがして、主観的世界が全てだということを言ってきました。神様は自らの脳に坐していると。
そして、前々回四回目の講義の最後で、「自分を見つめているとある重大なことに気がつく」と言いました。
これについて説明して、私どもの主張を完結させたいと思います。
幸福になること。
これが私たちの目標です。ですが、もちろん普遍的な幸福などなく、人それぞれ幸福の考えが違います。ゆえに幸福実現のための手段も違います。
ではこの問題にどう取り組めばいいのでしょうか。
当然のごとく演繹法ではありえません。帰納法によってのみ、私たちは幸福への道筋を手にするのです。
帰納法とは、「世の中」を観察し、経験的に法則を見出す推論の手法です。脳が全て、主観的世界が全てだということは、この場合の「世の中」とは、自分のことです。ですから、自分を観察することが生きる上でのヒントとなりうるのです。自分を見つめるとはそういう意味です。
というわけでして、ここからは、あくまで私がどんなときに幸せだったか、ということを足がかりに幸福論を展開します。あくまで私の場合の幸福論ですが、みなさま大いに参考にして下さい。
The Beatles以外の曲を全く聞かなかったという時期が2年ほどありました。
私がどうしようもない中坊だった時代、友達から誘われてはじめて県内の繁華街に遊びに行ったのです。内心びくびくしながら、ださい格好で、街に繰り出しました。そのときは怖くてほとんど何も買えなかったのですが、唯一買って帰ってきたものが、生まれて初めて自分のお小遣いで買ったアルバム「ラバーソウル」でした。
ラバーソウルのジャケットを見ると、当時の自分がコンプレックスの塊だったこと、目立ちたがり屋だったけど目をつけられたくもなくてこわい同級生や先輩の顔色をうかがっていた学生時代を思い出すんですねぇ。
サージェントペーパーのジャケットを見るなら、父親がそのジャケットについてやA Day in the Lifeの最後の部分を説明して聞かせていたことを思い出すんですねぇ。さらには、黒くてでかいCDプレーヤーとか、実家の自分の部屋とか、自分の部屋の足ざわりの気持ち悪いじゅうたんのこととか、思い出すんですねぇ。
中学を卒業するころ、私はジョンレノンのアルバム「イマジン」を聞いていました。
中でも印象的だった「Oh My Love」を聞くと、今でも中学卒業から高校入学という生活が激変したときのことを思い出します。中学校の卒業アルバムを見ながら、高校では友達の悪口を言うのをやめようと決意したこと、はじめて新しい通学路を通ったときのこと、そのときつけていっていたワックスの匂いとか。芋づる式になんもかんも思い出すんです。
決して音楽を聞くことが幸せなのではありません。
その時代の自分にとって強烈な存在だったものが、強烈な記憶として、その周辺の諸記憶と共に、今の自分へと引き連れてくる。それを感じることが幸せなんです。
簡単に言えば、「懐かしい」と思えることが私の至福です。思い出すという行為は、なんだか不思議なかんじがします。
私は小さいころ頻繁に怖い夢を見ていました。
その恐怖は夢の中だけで終わらなくて、布団をかぶって電気を消すと、強盗が家に押し入って家族みんなを殺してしまうんではないかと思っていました。
けれども、大きくなって、経験的にそんな事件は滅多に起こらないし、そんな高確率で人は死なないんだということを知るようになりました。そしてあまり怖い夢を見なくなりました。
これは成長であると言えます。
しかし私は、いつも不安でしかたなかった、母親の帰りが少し遅いともう殺されたんではないかと想像した、そんな昔の自分がなつかしくていとおしくてしようがないんですねぇ。あのころの自分をなつかしいと思えるのは、私が成長したからです。
この教訓から私が学びたいことは2つあります。
一つは、「なつかしい」と思わせる記憶というのは、その当時は案外何気なかったり、漠然と不満に思っていたことだったり、苦しかったことだったりするのです。何も嬉しかったことや、楽しかった思い出だけが人間を構成しているわけではないということです。
もう一つは、環境なり思想なりが、変わらなければなつかしいと思わないということです。これはとても重要なことです。
人間は一体何に感動するのか。
分かりやすい例を一つ提示します。
芸術作品を鑑賞しながら、ぽろぽろと泣き出す不可解な人間がいますよね。私は最近彼らが何に感動しているのか分かる気がするのです。私はタージマハルに行ってみたいので、その例で考えてみましょう。
タージマハルのような美しいものを見ると、大半の人が「すごい。」とか「きれい。」とか思うでしょう。けれども、涙をぽろぽろ流す人ってね、そういう大半の人とはちょっと違った化学反応が脳内で起こっているんだと思います。その化学反応を説明しましょう。
タージマハルに行きたいと思っている男がいました。彼は、タージマハルについて勉強し、やがてその思いはどんどん強くなり、いてもたってもいられなくなり、はじめての独り旅を決行することにしました。はじめて行ったインドでは、言葉も分からず、食事も文化もまったく異なり、頼れる人もなく、不安とストレスで精神的にまいってしまいました。ただ、タージマハルに行きたいという思いだけが彼の心の支えとなり、次第にタージマハルへの思いは独り歩きしてゆくことになるのでした。その苦難の末タージマハルに辿りついたとき、彼はそれまでの全てを思い出すのです。タージマハルへの思いと不安、そして安堵。これらが脳内で交錯し、彼は泣くのです。
もちろん人それぞれ感じ方は違います。けれど、心が豊かな人は、これらの芸術作品に感化されて、ふと何かを思い出すのだろうと思います。私が言いたいのは、何かを思い出すためには、思い出す何かがなければいけないし、脳が感動的になるシチュエーションをつくってやらないといけないということです。このシチュエーションは人間にとって辛い経験であったりするのです。
タージマハルが美しい建築だからと言って、こういうものをもっと高画質で見れるように、もっと高精細なCGで見れるように、とする動きが現在の科学技術にはあります。断言しますが、高画質の大画面で見ようが、高精細CGで見ようが、そんなものに誰も感動はしません。せいぜい、「すごい。」とか「きれい。」と思うくらいです。
わざわざインドまで行って、不安でいっぱいの中で旅をして到達する。このプロセスをふんでこその感動なんですよ。
メディアの高精細化が起こることは大変結構なことですが、それらが人間に感動を与えるものだと勘違いしてしまうと、非常に空虚な人生をおくることになる危険性があります。
昔のことを思い出すということ、記憶を辿るということは、プロセスなしでは成立しないことです。私たちが生きてきた過程がなければならないのです。その過程が強烈なものであればあるほど、その記憶は未来のあなたにその時代の記憶を伝えてくれるのです。
自分の脳に直接英単語5000語をインストールすることと、英単語帳で5000語必死に覚えることと、どちらが生きた証として記憶に残るか考えてみればいいでしょう。
ですから、私たちは未来の自分がなつかしいと思えるように、「布石」を打っておくのです。そうやって生きていく。そうやって布石を打っていれば、自分の脳にも変化があります。その変化はより一層過去の自分をなつかしいと思わせるものです。
「なつかしい」という感情がここまで神秘的な理由は、「不可逆的」という性格に基づいています。
昔はこうだった、でも今は違う、さらにあの頃には戻れない、という流れが「なつかしい」という思いを神々しくさせています。
前回の第五回で、人間が無意識に感じている死への恐怖について述べましたが、つまりこの「不可逆的な一連の流れ」の行き着く先には死があり、私たちは無意識にそれを知るのです。これが「なつかしさ」の放つ神々しさの秘密です。
要するに、人は死ぬから心が豊かなんですよね。
まとめますと、この世界は変化があって終わりがある。人間はこういった永遠でない世界に対していろいろ思うことがあるのです。なつかしいという感覚はそれを物語っているように思います。そして、この感覚が心の豊かさの正体ではないか。
ですから、私たちは未来の自分のために布石を打っておくことが大事なのです。役職とか知識とかお金とかは布石となりえません。それらを得るためにあなたが生きてきた過程こそが、布石となりうるのです。
けれども、この世の中は布石になりにくい物があふれています。
私ども内閣の閣僚も申しておることですが、旅行の推薦、ネット献金、覚醒剤に核爆弾・・・。ある目標に対してのわずらわしいプロセスを一切排除してしまおうという性格を持つものに対して、私どもはNOと言います。
結局こういう社会が善とか、普遍的なものはないと何度も言いました。それならば、人類が平和になるための過程をもっと楽しもうよ。
そういう発想ができるおもしろい人がこの世に必要なのではないでしょうか。
このような視点で世の中を捉える立場を「思い出主義」とよぶことにします。
私は、政治的立場としてはおそらく世界初の「思い出主義者」です。
どういう生き方をすればより記憶に残るか、どういうときに人は何かを思い出すのか、これらをもっと真剣に研究して参ります。まだまだ走りがけのイデオロギーです。みなさまの意見をちょうだいしたいと思います。
私の思い出主義提唱に特に影響を与えた人物・学問を紹介します。
量子力学、エドガー・アラン・ポー(小説家)、太田光(お笑い芸人)、三島由紀夫(小説家)、外山恒一(革命家)、児玉徹(九州大学准教授)
最後に。
死ぬということは悲しいことです。けれども、悲しいということは悪いことではありません。
終わりがあるという悲しみがあるからこそ、この世が美しかったり、感動的であったりするのです。